社会人に役立つ豆知識をこまめに更新中!

CoMaMe




Sponsored Links

哲学の話

テセウスの船のパラドックスの意味とは?簡単にわかりやすく解説

テセウスの船

(テセウスとは、ミノタウロスを対峙したという伝説のあるギリシャ神話の英雄です)

テセウスの船のパラドックス」は哲学の思考実験の1つです。

見た目がまったく同じでも、部品が全部入れ替わってしまったら、それはもとのものと同じと言えるのか?ということを考えます。

ギリシャ神話の中に「テセウスの船」というエピソードがあります。

↓そのエピソードは以下のようなものです。

クレタ島の怪物を倒したアテナイのテセウスは船に乗ってアテナイに凱旋しました。

アテナイの人々は、テセウスを英雄とたたえ、テセウスが乗っていた船を保存しますが、船の部材は時間の経過とともにだんだんと朽ちていきます。

そこで人々は古くなった部材を新しいものへと変えて、テセウスの船を保全しました。

ついには、当初使われていた部材は一つもなくなり、全てが新しい部材へと置き換わってしまいました。

さて、全ての部材が新しくなったテセウスの船は、はたして「元の船と同じだ」といえるのでしょうか?

「元の船の部材を使っていないから同じではない」とも言えますし、「テセウスの船として保全されているのだから同じ」とも言えますね。

この問題についてどのように考えるかによって、その人がこの世界や人生についてどのように考えているのかを判断することができます。

Sponsored Links

構造主義で考えた場合の「テセウスの船」

テセウスの船

(テセウスの船のパラドックスとは?哲学の思考実験について簡単にわかりやすく解説します)

例えば、「この船はテセウスの船として保管されているのだから、部品は変わってもその意味するところは同じ」と考えるのであれば、これは構造主義という考え方をとっていることを意味します。

構造主義というのは、簡単にいえば「このもの」「あのもの」というように物体にこだわらず、社会の中でそれがどういう意味をもっているか?で判断する考え方のことです。

テセウスの船は物体としてはもとのものと別物になってしまっていますが、アテナイの人々にとってはそれは「テセウスの船」です。

同じように、「大阪城」は物体としては昭和の時代に改築されたものですが、私たち日本人にとっては「豊臣秀吉が天下をとった時に作った城」ということになっていますよね。

このように、構造主義では「それが何で作られているか?」はとりあえず置いておいて、私たちの社会の中でそれがどのように位置付けられているのか?を重要視して考えるのです。

Sponsored Links

実存主義で考えた場合の「テセウスの船」

一方で、「物体としてのテセウス時代の船はとっくになくなってしまっているのだから、これはテセウスの船ではなく、ただの船だ」と考えるのであれば、実存主義の立場をとっていることになります。

実存主義とは、手に取れる1つ1つの物体、目の前にいる1人の人間を個別的なものとして考える考え方のことです。

実存主義をとなえたのはサルトルという有名な哲学者ですが、この人は「人間といえばこうあるべきだ」ということよりも、「今目の前にいる人間がどういう人かが重要だ」と考えました。

テセウスの船は物体としては昔のものとは別物になっていますから、「テセウスが生きていた時代の船と、今の船とは別物だ」と考えるのが実存主義の立場になります。

Sponsored Links

「テセウスの船」と同様に考えることができるパラドックスの例

以下では、テセウスの船のパラドックスの状態になっている具体例をいくつか考えてみましょう。

昔とメンバー全員が入れ替わってしまったモーニング娘

例えば、「モーニング娘。」というアイドルグループがありますね。

モーニング娘がメジャーデビューしたのは1998年と20年以上も前のことですが、いま現在でも「モーニング娘。」はアイドルグループとして存続しています。

しかし、実際に活動しているメンバーは、20年前の人たちとは全く違って、結成当初のメンバーは一人も残っていません。

この場合、今のモーニング娘を、昔のモーニング娘と同じグループであると言い切っていいのか?という問題が生じます。

今のモーニング娘は、昔のモーニング娘とは全く違うメンバーになっているのだから、もはやモーニング娘ではないのではなくてまったく新しいアイドルグループだと考えることもできます。

一方で、運営側やファンとしては今のモーニング娘はもちろん昔から続いているモーニング娘であることに変わりないと考えるでしょう。

メンバー自身も「自分はモーニング娘の一員である」という自覚のもと活動しているはずです。

このように、2つの対立した考え方が出てくるところで、モーニング娘の問題はテセウスの船と同じ問題ということができます。

「メンバーが全部違うのだから違うグループだ」と考えるなら実存主義、「メンバーが違ったとしてもモーニング娘はモーニング娘だ」と考えるなら構造主義の考え方といえるでしょう。

Sponsored Links

ジャイアンツの問題

アイドルグループと同じようなことが野球チームにも言えます。

例えば、日本のプロ野球界において最も歴史が古い球団といえば読売ジャイアンツです。

当然、結成当初の選手は今のジャイアンツに一人もいません。ここでテセウスの船のパラドックスが起こりますね。

また、野球チームの場合、こっちの球団からあっちの球団へ選手がトレードする…なんていうことも日常茶飯事で起こっています。

つまり、昨日までジャイアンツだったA選手が今日からは日本ハムでプレーするということが起こり得るのです。

そうなった時、ジャイアンツのA選手のファンたちは、「A選手がいないジャイアンツなんて、もはやジャイアンツじゃない!」と思うかもしれません。

実際はA選手がジャイアンツにいようがいまいが、そのチームがジャイアンツであることには変わりありません。このように考えるなら構造主義ということになります。

一方で、「あの選手がいないならもうジャイアンツではない」と考えるなら、それは実存主義の考え方となります。

スワンプマンの思考実験

哲学者であるドナルド・デイヴィッドソンの「スワンプマン」の思考実験もテセウスの船のパラドックスの例としてよく使われます。

↓スワンプマンの思考実験とは、以下のような内容です。

ある一人の男性がハイキングに出かけました。

彼はその途中、不運にも沼(スワンプ)の近くで雷に打たれて亡くなってしまいます。

しかし同時に沼に落ちた雷によって、偶然にも沼の成分から同じ外見を持ち、今までの記憶も知識も同一という男性(=スワンプマン)が誕生します。

果たして、新たに誕生した男は、亡くなった男性と同一人物なのでしょうか?

これはあくまで思考実験なので、実際に起こり得るような話ではありません。

この思考実験に対する見解は人によって異なり、「原子レベルで同じなら同一人物であろう」という意見と「スワンプマンはあくまで一度死んでしまった人間のコピー。同一人物ではない」という意見などが考えられるでしょう。

他にも多様な意見があります。つまり、ここにもパラドックスが起こっています。

スワンプマンの思考実験から、人間の細胞に考えが及んだ方も多いと思います。

スワンプマンの思考実験では一気に細胞が形成されていますが、人間の細胞は日々生まれ変わっています。

数年前の自分の細胞と今の自分の細胞を比べれば、それは全くの別物と言い切ることもできます。

「自分とは一体何なのか」というアイデンティティの問題にも行き着くのがスワンプマンの思考実験です。

Sponsored Links

文化財の修復

テセウスの船のパラドックスを考える際に、最も似通っている例として挙げられるのが、文化財の修復です。

例えば、神社や城など歴史的な建造物のほとんどは時間の経過とともに朽ちてしまう木でできています。

数十年ごとに何らかの補修や部材の入れかえをするのは必至です。何百年という単位でみれば、元の部材はほとんど残っていないでしょう。

ここで、「果たしてこれは、同じ建造物と言えるのか」というパラドックスが発生します。

また、近年では元の建造物がすっかりと焼け落ちるなどして〇〇跡しかない場所に、新たに現代の技術でもって建築物を再興することもあります。

これも、果たして同じ建造物と言えるのかという問題が発生しますね。

そして、文化財の修復で最もよく問題になるのが絵画です。

現代ではハイレベルな技術によって、当時の色彩を再現しながら修復することが可能となっています。

ただ、そこに使われている塗料は現代のものであり、描いたのも画家本人ではありません。

となるとやはりここにも、果たして元の絵画と同じと言えるのか、というテセウスの船のようなパラドックスが発生します。

ちなみに…絵画では時に「笑えるレベル」と揶揄されるぐらい酷い修復を施されることもあります。

例えば、2012年。スペインの教会に描かれていたキリストの壁画を近所のおばあさんが善意で修復した結果、「史上最悪の修復」と世界を震撼させました。

こうなるともはや「別物…」と、パラドックスも何もあったものじゃない…ですね。

このスペインのキリスト。一気にSNSで拡散され、今は逆に話題となって観光客は増加。Tシャツなどのグッズも販売されているとか。

ウナギ屋や焼鳥屋などの秘伝のタレ

ウナギ屋や焼鳥屋などで何十年も前から継ぎ足し継ぎ足し…使われている秘伝のタレ。

しょうゆやら砂糖やらの調味料を都度、継ぎ足しているのですから、当然創業当時のタレとは別物になっています。

時間の経過とともに味に深みも出て、その時々の店主の意向や、客の好みなども味付けに反映されているかもしれません。

となると、これはその店のタレとは違うのではないか、というパラドックスが発生します。

でも、お客さんは当然、その店の秘伝のタレで味付けされた料理を味わうためにお金を払っています。

また店主も「これが我が店の秘伝のタレだ」と自信をもって提供しているはず。

となると、これはやはりその店の秘伝のタレであることに間違いないのです。

これもテセウスの船のパラドックスと似た例です。

テセウスの船のパラドックスとはつまり、「時間の経過とともに成分や構成員、部材などが入れ替わった場合に、元のものと同じであると言えるのか?」という論理です。

Sponsored Links

ドラマ化で話題!漫画原作「テセウスの船」

2020年1月スタートのTBS系ドラマ日曜劇場に漫画原作の「テセウスの船」が決定しました。

「テセウスの船」は週刊漫画誌「モーニング」で連載されていた漫画を原作にしたミステリー大作。

キャストには竹内涼真や鈴木亮平、榮倉奈々、上野樹里など実力と人気がある俳優陣が予定されており、原作内容と相まって今から視聴者の期待は最高潮に!

期待度が高いドラマ「テセウスの船」ですが、まず気になるのが、「テセウスの船」というタイトル。

ドラマの内容としては、「警官だった父親が過去におかした犯罪はえん罪ではないか?」と主人公が疑い、過去にタイムトリップしながら真実に近づいていく…というミステリーですが、これに一体「テセウスの船」というタイトルはどう関わっているのでしょうか?

「テセウスの船」に込められた意味が分かれば、ドラマをもっと楽しめること間違いなしですよ。

漫画&ドラマタイトル「テセウスの船」に込められた意味

ここで漫画&ドラマの「テセウスの船」に戻りましょう。

漫画&ドラマ「テセウスの船」は、タイムトリップを繰り返して、自分の父親のえん罪を晴らすというストーリー。

タイムトリップをして主人公が過去で何か行動を起こせば、都度、未来は変わります。

目的がえん罪を晴らすこととはいえ、「タイムトリップを繰り返して行動することによって、自分たち家族、そして自分自身も以前と同じではなくなるのではないか?」というのが、「テセウスの船」というタイトルに込められた意味です。

えん罪はあってはならないことですね。

主人公のタイムトリップによる行動によって「本来あるべき道に戻っただけ」という考え方もできますが、漫画&ドラマ「テセウスの船」ではそんな単純な結論を見せてはくれません。

漫画は既に完結していますが、ラストまで読むと、「テセウスの船」というタイトルが重みをもって迫ってきます。

おそらくドラマも原作以上にタイトルに重きをおいて製作されることでしょう。

ドラマ「テセウスの船」を観るなら、ぜひタイトルの意味についても考えてみてくださいね。




Sponsored Links

-哲学の話

Copyright© CoMaMe , 2019 All Rights Reserved.