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女性天皇の歴代一覧!実在した8人10代の女帝たちのエピソード

女性天皇 歴代

(歴代の女性天皇一覧とエピソードを紹介します)

令和の時代になり、「女性天皇を認めてもいいのでは?」という話がニュースでもよく聞くようになりましたね。

日本の歴史ではこれまでに8人の女性天皇が存在したことがあります。

そのうち2名の人が「一生涯で2回天皇をやっている」ので、8人で10回の女性天皇即位があったということになります。

↓これまでに存在した女性天皇を歴代別に一覧にすると以下のようになります。

歴代 名前 簡単な経緯
33代 推古天皇 32代崇峻天皇の暗殺をうけ、中継ぎとして即位。
35代 皇極天皇 34代舒明天皇のあと、即位する皇子が決まらなかったため中継ぎで即位。
37代 斉明天皇(皇極天皇と同一人物) 36代孝徳天皇が病没後、政治的な安定をはかるために皇極天皇がもう一度即位。
41代 持統天皇 天武天皇の草壁皇子が早世したので、文武天皇の即位までの中継ぎとして即位
43代 元明天皇 子である42代文武天皇が早世したため即位。
44代 元正天皇 文武天皇の早世をうけ、母である元明天皇の後を継ぐ形で即位。
46代 孝謙天皇 聖武天皇と光明皇后の間に男子が生まれなかったため、母親は君臣の娘だったが即位。
48代 称徳天皇(孝謙天皇と同一人物) 対立していた47代淳仁天皇を廃位したのち、尼のまま孝謙上皇が即位した。
109代 明正天皇 紫衣事件や春日局の無冠参内等で江戸幕府に憤った父の108代後水尾天皇が上皇となるため譲位後即位。
117代 後桜町天皇 116代桃園天皇の遺言と、桃園天皇の皇太子が幼かったという理由で中継ぎとして即位。

この記事では、過去に存在した女性天皇のエピソードや役割について紹介します。

天皇家の歴史や、皇室の今後について考えている方は、ぜひ参考にしてみてください。

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歴代女性天皇のエピソードを紹介!

過去の歴史においては、女性天皇は「中継ぎ(なかつぎ)」として即位してきたという経緯があります。

つまり、天皇家に若くて健康な男性の皇族がいないときに、ピンチヒッターとして女性の皇族に天皇になってもらってきたのです。

このように書くと、「男性が主役で、女性が脇役(わきやく)」みたいな感じがしてしまいますが、実際にはそうとも言い切れません。

天皇として即位したきっかけは中継ぎであっても、実際に天皇になった後は自らの意思で積極的な政治を行なった女性天皇は少なくないからです。

以下では、それぞれの女性天皇が即位した経緯とエピソードを紹介しましょう。

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(1人目)推古天皇

女性天皇 歴代

(推古天皇は日本の歴史上初めての女帝です)

推古天皇は、日本史上で初めての女帝です。

彼女の1つ前の天皇は「崇峻天皇」という人で、この人は当時の有力者だった蘇我馬子という豪族に暗殺されてしまいます。

そうした大混乱の中で、推古天皇は39歳で天皇に即位しています。

混乱の中であえて選ばれて天皇にかつがれたぐらいですから、バランス感覚に優れた女性であったことがうかがえますね。

推古天皇は、自分の甥っ子(おいっこ)である厩戸皇子を摂政としました。

厩戸皇子というのは有名な聖徳太子のことですね。

推古天皇は聖徳太子とタッグを組んで、法律の整備や仏教の発展などの新しい政策をどんどん進めていきます。

中国大陸の王朝「隋」と外交し、遣隋使の派遣も行ったときの天皇でもあります。

厩戸皇子はものすごく優秀な政治家だったので、推古天皇のあとは聖徳太子が天皇になる予定でした。

しかし、聖徳太子は推古天皇よりも先になくなってしまいますので、結局天皇にはなっていません。

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(2人目)皇極天皇=斉明天皇と同一人物

女性天皇 歴代

(皇極天皇は一生涯に2回天皇に即位した女性です)

皇極天皇は、推古天皇の次の次の代に即位した女性天皇で、大化改新が起きた時に天皇だった人です。

この人は、その生涯でなんと2回も天皇になっています。

つまり、1回天皇になり、いったん辞めて別に人に位を譲り、さらにその後にまた天皇になったということですね。

(このように、2回以上にわたって天皇になることを「重祚:ちょうそ」と呼びます)

1回目に天皇になったときの名前が皇極天皇、2回目に天皇になったときの名前が斉明天皇です。

(ただし、こうした名前は天皇が亡くなった後に贈られる名前ですので、彼女が生存中はこうした名前で呼ばれることはありませんでした)

皇極天皇は、642年に天皇として即位した後、645年に中大兄皇子が蘇我入鹿・蝦夷親子を討つ乙巳の変(いっしのへん)の際が起こります。

これが有名な大化の改新です。

こうした政治的な混乱をおさえるため、皇極天皇は自分の弟(孝徳天皇)に天皇の位をバトンタッチします。

これは日本史上で初めての譲位(天皇がまだ生きている間に位を譲ること)です。

当時は史上初めての女性天皇(推古天皇)が生まれたり、史上初めての譲位があったりと、日本の政治が非常に混乱していた時期だったのです。

皇極天皇が譲位して天皇になった孝徳天皇は、実力者である中大兄皇子と対立してしまいます。

事態を収拾するため、皇極天皇が37代の「斉明天皇」としてもう一度天皇になります。

斉明天皇の時代には、日本は朝鮮半島への軍事介入(白村江の戦いです)を行なうなど混乱が続きますが、最終的には当時の朝鮮半島の国家に大敗し、日本は朝鮮半島から手を引くこととなります。

斉明天皇が亡くなったあとは、中大兄皇子が天智天皇として即位します。

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(3人目)持統天皇

女性天皇 歴代

(持統天皇は、歴史上初めて「天皇」を名乗った天武天皇の奥さんでした)

持統天皇は、天武天皇の奥さんだった人で、天武天皇が亡くなった後に天皇になっています。

持統天皇の夫であった天武天皇は非常に強い権力を持っていました。

(歴史上はじめて「天皇」と名乗ったのは天武天皇です。それ以前は大王=おおきみと呼ばれていました)

しかし、天武天皇は晩年は病気がちだったために、妻である持統天皇が政治を行なっていたという記録があります。

天武天皇は自分の息子である「草壁皇子」という男性を後継に指名して亡くなりますが、天武天皇の葬儀を行なっている間に、この草壁皇子も亡くなってしまいます。

(当時の天皇の葬儀は「殯=もがり」といって、とても長い期間行われました。天武天皇のもがりは2年も行われています)

草壁皇子には「軽皇子」という息子(天武天皇から見ると孫)がいたのですが、軽皇子は当時まだ7歳でした。

7歳では政治を行うことができませんから、軽皇子が成長するまでは持統天皇が中継ぎ(ピンチヒッター)として天皇になります。

持統天皇は新しい法律(飛鳥浄御原令)を制定したり、藤原京という新しい日本の首都を作ったりと、精力的に政治を行いました。

すごろく遊びを禁止するなどのルールも作っていますから、とても真面目な人だったのかもしれませんね。

晩年は、自分の孫で皇太子である軽皇子に譲位します(軽皇子は即位して文武天皇になります)

しかし、文武天皇はまだ若かったので、持統天皇も一緒に政治を行なっていたとされます。

これは歴史上初めて行われた「院政」です。

院政とは、天皇の前の代の天皇(上皇)が、天皇に代わってまたは一緒に政治を行うことをいいます。

当時は歴史上初めての女性天皇が誕生したり(推古天皇)、初めて譲位が行われたり、初めて院政が行われたり…と初めてづくしの政治でした。

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(4人目)元明天皇

女性天皇 歴代

(元明天皇は奈良の平城京に遷都するなど、天皇として精力的に活動します)

元明天皇は、文武天皇の後に天皇に即位した女性です。

↓ここまで見た順番で見ると、以下のように、短い期間で女性天皇が何度も登場していることにびっくりされる方もいらっしゃるかもしれませんね。

第33代〜第48代の天皇一覧

  • (第33代)推古天皇
  • (第34代)舒明天皇
  • (第35代)皇極天皇
  • (第36代)孝徳天皇
  • (第37代)斉明天皇
  • (第38代)天智天皇
  • (第39代)弘文天皇
  • (第40代)天武天皇
  • (第41代)持統天皇
  • (第42代)文武天皇
  • (第43代)元明天皇(←今ここ)
  • (第44代)元正天皇
  • (第45代)聖武天皇
  • (第46代)孝謙天皇
  • (第47代)淳仁天皇
  • (第48代)称徳天皇

↑この一覧の赤文字は女性天皇です。

第33代〜第48代までは合計で16代ですが、そのうち半分の8代が女性です。

ひょっとしたら、「当時は現在よりも女性の地位というものが高かったのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

なにせ、天皇というのは当時の政治のトップですからね。

当時は幕府なんかは影も形もない時代で、天皇が直接的に政治を行うのが原則でした。

天皇は現代とは比較にならないほど圧倒的な力を持った権力者だったわけですね。

1000年以上も昔の時代に、女性がこうした地位にひんぱんについていた時期があったことは注目に値します。

ただし、あくまでも女性天皇は男性の皇族が天皇になれないときのピンチヒッターとして即位しているということに変わりはないことに注意しておきましょう。

元明天皇も、文武天皇(男性)が若くして亡くなったために、その次に天皇になるべき「首皇子:おびとのみこ」が成長するまでの中継ぎとして天皇になります。

(この首皇子は、後の聖武天皇です)

元明天皇は、先代の天皇である文武天皇の母親です。

天皇だった自分の息子(文武天皇)が早くに亡くなってしまったので、自分の孫(聖武天皇)に天皇を継がせるまでの中継ぎとして天皇になったのです。

ただし、元明天皇は単なるおかざりの中継ぎではありません。

当時の通貨である和同開珎の鋳造や、平城京への遷都といった経済や政治の重要なシステム整備を多く行っています。

その際、藤原不比等(ふじわらのふひと)を重用したことでも知られています。

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(5人目)元正天皇

女性天皇 歴代

(元正天皇は大変美人だったそうですが、結婚することなく天皇になります)

元正天皇は、元明天皇の次に天皇になった人で、元明天皇の娘です。

つまり、このときは女性天皇が2代続いたことになります。

元正天皇も、弟である聖武天皇が天皇になるまでの中継ぎとして天皇になりました。

治世中は養老律令という法律の編纂を行なったり、歴史書の「日本書紀」が完成したり、三世一身法という新しい土地制度を始めたり…といった改革がたくさん行われています。

元正天皇は大変な美人だったそうですが、結婚経験がなく、独身で即位した最初の女性天皇です。

(6人目)孝謙天皇=称徳天皇と同一人物

女性天皇 歴代

(孝謙天皇も生涯で2回天皇になった女性です)

孝謙天皇も、その生涯で2回天皇になった女性です。

1回目に天皇になったときには孝謙天皇、2回目に天皇になったときは聖徳天皇と呼ばれます。

元正天皇の後に天皇になった聖武天皇には男子がいなかっため、娘である孝謙天皇が天皇になります。

天皇から「次の天皇になる人」として指名された人を「皇太子」と呼びますが、孝謙天皇は歴史上初めて皇太子となった女性です。

(他の女性天皇は、いずれも先代の天皇が亡くなった後に天皇になることが決定していますから、彼女の前に皇太子の立場になった女性天皇はいません)

1回目の孝謙天皇時代は、藤原仲麻呂(恵美押勝)を重用します。

その後、いったん淳仁天皇に位を譲りますが、「淳仁天皇+藤原仲麻呂」VS「孝謙天皇+道鏡」の対立が起こります。

結果的には孝謙天皇が勝利し、淳仁天皇は犯罪者として天皇をやめさせられます。

↓淳仁天皇が流罪になった後、孝謙天皇はもう一度天皇になり、称徳天皇となります。

  • 孝謙天皇
  • 淳仁天皇
  • 称徳天皇(孝謙天皇がもう一度天皇になりました)

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孝謙天皇(=称徳天皇)は仏教の僧である道鏡を重用し、血のつながりは全くないのにもかかわらず自分の後継者として天皇にしようとします。

これは「道鏡事件」といわれ、当時の一大スキャンダルとされました。

(称徳天皇と道鏡は男女の関係にあったと言われています)

結局、道鏡が天皇になることはなくなり、称徳天皇の死後は光仁天皇が皇位を継ぎます。

道鏡は称徳天皇の死亡後はたちまちに勢力が衰えて、その後流罪となっています。

称徳天皇の辺りから、皇室で「女性が天皇になるのは危ない」という意識が芽生えたのかもしれません。

なにせ、称徳天皇は天皇家とはまったく関係のない男性の僧侶に天皇の位を譲ろうとしたからです。

道鏡事件を起こした称徳天皇の後、江戸時代に女性天皇となる明正天皇まで、800年以上は女性が天皇になることはありませんでした。

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(7人目)明正天皇

女性天皇 歴代

(明正天皇は、江戸時代に約800年ぶりに誕生した女性天皇です)

明正天皇は、江戸時代の初期に天皇になった女性です。

この人は、徳川将軍家を外戚にもつ唯一の天皇でもあります(明正天皇の祖父は徳川秀忠、伯父は徳川家光です)

父親である後水尾天皇は、江戸幕府と非常に対立した人でした(紫衣事件や金杯事件といった事件が起きています)

後水尾天皇は、幕府への抗議の意味をこめて退位し、自らは上皇となるため娘である明正天皇を即位させています。

このとき、上皇というものは当時の朝廷のルールでは管理されない仕組みになっていたため、後水尾天皇(上皇)は自由な立場で権勢をふるったといわれます。

明正天皇は徳川家の血を引く女性であるにもかかわらず、江戸幕府による禁中公家諸法度による朝廷への介入に反対したり、家光の乳母である春日局が無冠で参内したことに憤ったりと、自分の意思を持った女性であることを思わせます。

(8人目)後桜町天皇

女性天皇 歴代

(後桜町天皇は、歌道や漢文にも精通した文化人でした)

後桜町天皇は、江戸時代の中期に天皇になった女性で、現在の歴史上は「最後の女帝」ということになります。

後桜町天皇は、自分の弟である桃園天皇と、その息子である後桃園天皇の中継ぎとして即位します。

(明正天皇以来、119年ぶりの女性天皇の誕生です)

この時代(115代桜町天皇から116代桃園天皇の時代)には摂関家が力を失いつつあった時代です。

江戸幕府に対して不満を持った一部の公家が、天皇へ直接不満を訴え出るなどがあったため、朝廷と幕府の関係が悪くなることを案じた時の関白と公家が、それらの家を処分するという事件も起こっています(宝暦事件といいます)

その後、朝廷では「同じような事態が起こることを防ぐため、天皇を女性にしよう」という意見が生まれます。

そこで、先代の天皇と血縁的に近く、政治的にも中立な後桜町天皇が桃園天皇ののちに即位することになりました。

当時、誰が天皇の位を継ぐのかという重要な問題については江戸幕府に相談するということになっていました。

しかし、このときは「非常事態」という名目で朝廷内で即位を決め、幕府には事後報告ですませていますから、江戸幕府と朝廷で政治的な駆け引きが行われていたことがうかがえます。

後桜町天皇は歌道や漢学に精通した大変な文化人だったといわれています。

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現代ではなぜ女性天皇は認められていないの?

女性天皇 歴代

(現代の天皇家で女性天皇が認められていないのはなぜ?)

現代の皇室典範(天皇家の皇位継承に関する法律)では、女性は天皇に即位できないことになっています。

今上天皇に男性の子供がいませんので、現在の皇室典範のルールでいけば、今上天皇の次の代は、弟の秋篠宮様が天皇陛下になります。

(その次の代は、秋篠宮様のお子さんの悠仁様が天皇陛下になります)

ただし、皇室典範というのはあくまでも法律に過ぎませんから、国会で決議すれば改正することは可能です。

歴史上、女性の天皇はたくさん存在してきたのですから、皇室典範の改正によって女性天皇が認められる可能性はゼロではありません。

皇室典範の改正がもし今後あったとして、女性天皇として即位する可能性が最も高いのは今上天皇の娘さんの愛子様ですね。

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愛子様が天皇になった場合の問題点

しかし、もし愛子様が女性天皇として即位した場合、その後をどうするのか?という問題があります。

愛子様が結婚して子供ができ、その子供がもし天皇になったとしたら、これは歴史上1回も誕生したことがない「女系天皇」になってしまうからです。

↓女系天皇とは何か?を整理すると以下のようになります。

女系天皇と男系天皇の違い

  • 女系天皇母親が天皇であったことを理由に天皇になった人(歴史上1人もいません)
  • 男系天皇父親が天皇であったことを理由に天皇になった人(神武天皇〜今上天皇まで、2600年以上ずっとこちら)

>>女性天皇と女系天皇の違い

女系天皇というのは「母親が天皇であったことを理由に天皇になった人」のことです。

男系天皇というのは「父親が天皇であったことを理由に天皇になった人」のことで、これは現在の126代天皇陛下までずっと継続してきている家系です。

もし愛子様が天皇陛下になったとしたら「男系の女性天皇」ということになります。

愛子様の父親は現在の天皇陛下ですから、「父親が天皇であったことを理由に天皇になった」といえるからです。

一方で、愛子様の一般人の男性と結婚し、その子供が天皇になったとしたら、性別の男女によらず「女系天皇」です。

家系のルーツ(王朝)というのは、男性側の血縁からたどるのがルールです。

そのため、もし女系天皇となった場合は、126代にわたって続いてきた天皇家の家系はそこでいったん終わりを迎えることになります。

そして、その新しい女系天皇を「初代」として、新しい天皇家を始めることになるのです。

これは大問題です。

↓以下でその理由を説明しましょう。

現在の天皇家は「世界で圧倒的に古い歴史を持つ家系」

天皇家は2600年以上の歴史を持つ世界で最も歴史のある家系で、ヨーロッパの王室などからは非常に尊敬されています。

(いちもく置かれている、という感じでしょうか)

現在のイギリスの家系である「ウィンザー朝」は1917年から始まっていますから、あんなに歴史があるように見えてたったの100年ちょっとしか歴史がありません。

このウィンザー朝は、それより前の「ハノーヴァー朝」とつながっているという説を取る人もいますが、それにしてもハノーヴァー朝が始まったのは1714年からですから、それでもたったの300年ちょっとしか歴史がありません。

日本皇室は2600年、ヨーロッパでもっとも権威があるイギリス王室でも300年です。

このように比較すると、日本皇室の歴史がどれだけ貴重なことであるかお分かりいただけるかと思います。

これだけ歴史のあるものを、私たち現代の日本人の代で終わらせてしまってもいいの?という話です。

女系天皇を誕生させた瞬間、2600年続いた日本の天皇家はいったん終了し、またそこから1年目…というかたちで歴史をスタートすることになります。

そうなると、ヨーロッパの歴史のある王室などからは「つい最近始まった家系のくせに…笑」と、馬鹿にされるかもしれません。

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天皇家の家系を守るための動き

少し前の小泉総理の時代、このままでは天皇家の存続が厳しくなるという危機感がありました。

今でこそ秋篠宮様のお子さんの悠仁様が生まれていますが、それ以前には「秋篠宮様の次を継ぐ若い世代の男性」は、皇室典範のルールに従う限りは1人もいない状態だったからです。

当時は「皇室典範の改訂を行わなければ」と話し合いがされていましたが、まさにその話し合いをしている真っ最中に悠仁様が生まれました。

そこで、「秋篠宮様の次はとりあえず悠仁様が皇位に就けばそれでよい」という話になり、現在は皇室典範の改訂の動きはなかば止まっています。

もっとも、皇室を告げるのが悠仁様1人だけ…というのはものすごく心細いですし、もし悠仁様に子供が生まれなければ、その時点で皇室は絶えてしまいます。

悠仁様が生まれた現在においても、皇室を守るための知恵を出さないといけない状態であることに変わりはありません。

眞子様や佳子様は女性天皇になれるの?

ところで、秋篠宮様には悠仁様の他にも眞子様・佳子様という女のお子さんがいらっしゃいますね。

眞子様や佳子様が女性天皇として即位できるかというと、これも簡単にはなれません。

父親が男系男子ではありますが、まず女性天皇を認めない現在の皇室典範が立ちはだかるからです(これは愛子様の場合と同じです)

さらに皇族の女性は、皇族以外と結婚した場合は「皇族から離脱しなければならない」と現在の皇室典範では決められています。

愛子様や眞子様・佳子様が女性天皇になるためには、皇室典範の改正が必要になるのです。

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過去には認められていた女性天皇が、現在は認められない2つの理由

女性天皇 歴代

(現代では女性天皇を認められない2つの理由があります)

「今まで通りに男系の天皇家を継続する」という意味では、こうした女性の皇族の方々が女性天皇になることは問題ありません。

(実際、そういうかたちで女性天皇として即位した人はこの記事で見たように8名いらっしゃいます)

しかし、女性天皇を認めることはその次に来る女系天皇につながるという危険があります。

↓現代では以下のような2つの理由から、女性天皇を認めた途端に、女系天皇が生まれる可能性が一気に高くなってしまうのです。

現代に女性天皇を認めない理由

  1. 側室制度がないので、どうしても生まれてくる皇族の絶対数が少ない
  2. GHQの占領期に、たくさんの皇族を「一般人」にしてしまっている

明治天皇の時代までは、天皇にはたくさんの奥さんがいましたから、皇族がたくさんいました。

そして、1人の天皇から複数の女性を介してたくさんの新しい子供が生まれるということも一般的でした。

しかし、個人的な心情から側室を置かなかった大正天皇以降、側室を置くという風習は廃れているのが現状です。

(現代の感覚的にも、復活は難しいというのが実情でしょう)

また、敗戦後にアメリカ(GHQ)が日本を占領したとき、GHQは将来的には天皇になる人がいなくなってしまうことを狙って、当時たくさんいた「皇族」を普通の一般人に戻してしまいました。

側室制度の廃止によって「新しく生まれる皇族」の絶対数が少ない状態で、さらに皇族を一般人に戻すということをやったので、一気に皇室の後継者が少なくなってしまったのです。

将来的には旧皇族の皇室復帰がのぞましい

上で見たように、側室制度がないことと、皇族の家族が少なくなっていることの2つが、従来 は認められていた女性天皇が認められなくなった主な理由と言えます。

逆に言えば、側室制度を復活させ、旧皇族に皇室に戻ってもらうということができるのなら、女性天皇を認められるようになる可能性は高いでしょう。

皇族がたくさんいる状態なら、女性天皇を認めても、女系天皇につながってしまう可能性が極めて低いからです。

側室制度の復活は現代の感覚的に難しいかもしれませんが、旧皇族の皇室復帰は、皇室典範の改正で今すぐにでもできることです。

将来的には、皇室典範の改正によって「1代限りの女性天皇」を認めるようにするか、あるいは戦前の「旧宮家」に皇室に戻っていただくか、いずれかの方法によって皇室の安泰を期する法改正が必要です。

現代の皇室典範は、可能な限り女系天皇を回避するためのルールになっているのです。

まとめ

今回は、過去に実際に存在した「女性天皇」の歴史や、エピソードについて紹介しました。

過去の女性天皇について知ることは、現在の皇室が抱えている問題を考える上でヒントになることが多いです。

ぜひ参考にしてみてくださいね。

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