社会人に役立つ豆知識をこまめに更新中!

CoMaMe




Sponsored Links

歴史の話

徳川御三家とは?家系図で解説!御三卿との違いや席次・石高も紹介

※このページは 3 分で読めます。

徳川御三家

(徳川家の家系図:黄色は将軍位を継ぐ徳川の宗家・青色が徳川宗家を支える徳川御三家です)

徳川御三家とは、江戸時代に作られた尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家という3つの家のことです。

これら3つは、江戸幕府の創始者である徳川家康が、自分の子供たちを独立させるために作りました。

  • 尾張藩:徳川義直(家康の九男)
  • 紀州藩:徳川頼宣(家康の十男)
  • 水戸藩:徳川頼房(家康の十一男)

↓ちなみに、石高(藩の収入)はそれぞれ以下のとおりです。九男である義直の尾張藩がもっとも大きい家ですね。

  • 尾張藩:61万9500石
  • 紀州藩:55万5000石
  • 水戸藩:35万石

徳川家康にはたくさんの子供がいました。

徳川宗家(そうけ)を継いだのは2代将軍の秀忠ですが、その他の義直(九男)・頼宣(十男)・頼房(十一男)にも独立して家を持たせたのです。

ちなみに、それ以外の子供はみんな若くして死んだり、謀反の疑いをかけられて改易されたりしています。

この3つの家には、「徳川宗家(秀忠の子孫)」が絶えてしまった時には、代わりに将軍を出すという役割がありました。

実際、第8代将軍である徳川吉宗は、紀州徳川家から徳川宗家の養子になる形で将軍を継いでいます。

↓徳川御三家とは何か?についてまとめると以下のようになります。

徳川御三家とは?

  • 徳川御三家とは、徳川家康が自分の子供のために新しく作った3つの家のことです。
  • 義直・頼宣・頼房の3人の子供に、それぞれ尾張藩・紀州藩・水戸藩を継がせます。
  • 将軍である秀忠の子孫が絶えてしまった時は、御三家から将軍家を出すというルールがありました。

なお、第3代将軍の家光の時に、家光の弟である徳川忠長のために「駿河徳川家」を作っていますが、後に忠長は謀反の疑いで処罰されてしまうので、駿河徳川家は1代だけで断絶しています。

忠長が無事に生きていれば、「徳川御三家」ではなく「徳川御四家」だったかもしれません。

以下では、徳川御三家が歴史の中でどのような役割をはたしたのか?御三家の歴代当主にはどんな人がいたのか?といったことがらについてさらにくわしく紹介します。

徳川幕府の歴史に興味がある方は、ぜひ参考にしてみてください。

Sponsored Links

徳川御三家とは?

次のページへ >




Sponsored Links

-歴史の話

Copyright© CoMaMe , 2020 All Rights Reserved.