社会人に役立つ豆知識をこまめに更新中!

CoMaMe




Sponsored Links

歴史の話

昭和天皇エピソード集~マッカーサーや皇后との物語~

※このページは 3 分で読めます。

昭和天皇 エピソード

(激動の人生を歩んだ昭和天皇の感動エピソードを紹介)

昭和天皇は、現在の天皇陛下(令和時代の天皇陛下)の祖父にあたる方です。

日本の歴史上の天皇陛下にはいろんな人たちがいますが、昭和天皇はその中でももっとも激動の人生を歩んだ人といっても過言ではありません。

昭和天皇の在位中には日中戦争・第二次世界大戦のほか、日本史上初の外国による占領から高度経済成長、バブル景気まで、さまざまなできごとが起きています。

この記事では、そんな昭和天皇の激動の人生の中で、特に印象的なエピソードについてまとめましたので、ぜひ参考にしてみてください。

Sponsored Links

昭和天皇とマッカーサーのエピソード

昭和天皇のエピソードの最も有名なもの…というと、やはり第二次世界大戦で大敗を喫した後、昭和天皇がマッカーサーを直接訪問したエピソードが挙げられます。

昭和天皇がマッカーサーを訪問したのは、昭和20年9月27日のことで、玉音放送で日本国民に対して敗戦を報告した約1か月後です。

この時、昭和天皇はマッカーサーに対して以下のようなメッセージを伝えたとされます。

「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした。」

引用:マッカーサー回顧録より

つまり、昭和天皇は太平洋戦争の全責任は自分にあるということを明言したのです。

その結果として招いた様々な悲劇を自分の責とし、その裁きを受ける覚悟があるとマッカーサーに伝えたということです。

昭和天皇が終戦後、最も気にしていたのは、自分の臣下であった者たちが裁かれ、国民たちが生活に困ることでした。

自分を裁くことによって、どうか臣下たちや国民たちがこれ以上辛い思いをしないで済むよう配慮してほしいと、昭和天皇はマッカーサーにお願いしたということですね。

結果として、マッカーサーは昭和天皇のこの態度に酷く感動し、尊敬の念まで抱いたといいます。

昭和天皇がマッカーサーを訪問した当初は、マッカーサーはノーネクタイでラフな開襟シャツでやや横柄ともみてとれる態度だったそうです(有名な写真あり)

しかし、昭和天皇とのわずか数分の会談後には、マッカーサーは昭和天皇の後をついて玄関まで見送るほどに態度を改めます。

このマッカーサーの変化には、日本側もかなり驚いたそうです。

結果的に、アメリカ国内では昭和天皇を裁くべきという世論が強かったにも関わらず、GHQは昭和天皇を象徴として据え置くことを決定しています。

この決定は、日本の復興が早まる要因の1つになったと言われています。

Sponsored Links

昭和天皇は戦争責任で悩んでいた?

戦後の憲法では「象徴天皇(国民のシンボル)」の扱いになった昭和天皇ですが、自身の戦争責任については悩み続けていたという証言がいくつも挙がっています。

宮内庁長官であった田島道治は昭和天皇とのやり取りを残しており、その中で昭和天皇がサンフランシスコ講和条約式典で「『反省』という言葉を入れたい」としきりに主張していたということが分かっています。

でも結局、昭和天皇の「反省」という言葉は、象徴天皇であるがゆえに公に発言されることはありませんでした。

昭和天皇の側近であった小林忍侍従の日記では、晩年の昭和天皇が以下のように発言したという記述が見つかっています。

「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。(中略)戦争責任など。」

昭和天皇は国民に対して、世界に対して、自分の本当の想いを伝えることができず、ずっと辛い思いを抱えて生きていたのかもしれません。

次のページへ >




Sponsored Links

-歴史の話

Copyright© CoMaMe , 2020 All Rights Reserved.