「民主主義とは多数決のこと」と考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうではありません。
↓言葉の意味を整理すると、以下のようになります。
民主主義と多数決の意味の違い
- 民主主義=王様や君主のためではなく、民衆のことを第一に考えて政治をすること。
- 多数決=民主主義を実現するための手段の一つ。政治で何か決断をしないといけないときに、意見をつのってもっとも多くの賛成が得られた意見を採用すること。
つまり、多数決とはあくまでも民主主義を実現するための一つの手段に過ぎません。
民主主義が実現できるのであれば、多数決以外の方法で政治をしても構いませんし、過去にそういう例はたくさんあります。
以下、民主主義の本来の意味や、多数決原理の問題点についてくわしく解説していきます。
目次
民主主義とは「民衆を第一に考えた政治」のこと
上でも見たように、民主主義とは「王様や君主のためではなく、民衆のことを第一に考えて政治をすること」をいいます。
民衆のことを第一に考えることが重要なので、王様はいてもいなくても構いません。
現に日本には天皇陛下がいてイギリスには女王がいますが、どちらも世界を代表する民主主義の国ですね。
アメリカは大統領制ですが、これは簡単にいえば王様を選挙で選んでいるのと同じです。
「ある国の政治が民主主義である」というために必要なことは「民衆のことを第一に考えて政治が行われていること」だけです。それ以上もそれ以下も必要ありません。
政治プロセスとして多数決原理を採用していない国であっても、政治のあり方として民主主義となっている可能性はあります。
民主主義を実現するための手段は?
民主主義とは「民衆を第一に考えた政治」で、それ以上でも以下でもないというお話をしました。
それでは、民主主義を実際に実現するためにはどうしたらいいでしょうか。
実験を持っている王様や君主がとても素晴らしい人で、自分自身のことよりも民衆のことを第一に考えて政治をするなら、「王様が全部決める」でも構いません。しかし、実際問題としてそれは難しいのが実情ですから、別の方法を考えることになります。
民主主義を実現するためにもっとも良いのは、民衆自身が政治の決定権者となることです。
つまり、「みんなのことはみんなで決める」という形にすれば、民主主義はもっともシンプルに実現できることになります。
メンバーの多い社会では「全会一致」は不可能なので多数決原理を使う
学校のクラスなどであれば「みんなのことはみんなで決める」でもうまくいくかもしれません。
何か決めないといけないことが起こるたびに、全員で話し合って全員の意見が一致するようにすればOKです。これを全会一致といいます。
しかし、もっと大規模な社会では全会一致は不可能です。たとえば1億人の人の意見が完全に一致することはありえません。
そこで、次善の策(しかたなく採用する方法)として、多数決原理というものを持ってきます。
多数決原理とは何か?
多数決原理とは、意見が2個以上あるときに、それぞれについて賛成者をつのって、一番たくさんの賛成が集まった意見を採用するというものです。
逆にいえば、賛成が少なかった意見は、後から見てどんなに優れたものであっても捨てることになります。これは多数決原理の一つの問題点でもあります(後で詳しく説明します)
多数決は「みんなのことはみんなで決める」というプロセスを円滑に決めるために採用されたひとつの手段です。
一人の意見も無視することなく、主権を持つ人全員の意見を参考にしながらものごとを決める、というプロセスがきちんと機能しているのであれば、その社会は民主主義といえます。
そのため多数決以外の手段を用いても全員の意見を聞いた上で決めたことであれば民主主義といえます。
その意味で、多数決は民主主義の一つの方法に過ぎないのです。
民主主義を実現するための手段として多数決を使うようになった理由
民主主義を実現するために、多数決という手段が広く用いられるようになった理由としては、どのような背景があったのでしょうか。
例えば、古代ギリシャではアテネという都市国家があり、ここではすべての議案について全会一致が基本とされていました。
共同体のすべての人に関わることだから、全員の意見が一致する必要があると考えられていたからです。
一見すると、全員の意見が同じになるので問題がないように思えますが、一つのことを決めるのに膨大な時間がかかるというデメリットがあります。
例えば、戦争が起こって他国が攻めてくるという状況で、全会一致なんてことをやっていたらその間に滅ぼされてしまいます。実際、アテネにはペルシアという国が攻めてきて何度も滅ぼされそうになっています。
そこで採用されたのが「多数決」という考え方です。
共同体内の半数以上が賛成しているから、共同体全体の意見を賛成として決定する、というプロセスは全会一致よりもはるかに時間が短縮できます。
さらに時代が進み、多くのことを議論する必要が出て、国家のような大規模な共同体が増えてきました。
それにともなって、民主主義では多数決を採用することが主流となってきました。
民主主義では多数決で「ありえない結果」が出ても従うの?
民主主義における多数決でも、「ありえない結果」が出てくる可能性があります。
例えば、第二次大戦前のドイツでは、ヒトラーという人が正当な選挙によって当選し、ドイツ国民の圧倒的多数意見として「ユダヤ人をこの世から抹殺する」という決定をしています。
結果的に、900万人〜1100万人ほどのユダヤ人を殺すことになりました。これは当時のドイツ人が多数決で決めたことです。これをホロコーストと呼んでいます。
2019年8月1日現在の東京都の人口は1393万7664人だそうです。
ホロコーストでは、だいたい東京都民の78.92%を殺したのと同じことになります。
民主主義国家を多数決によって運営している場合、こういう「あり得ない結果」がときどき出ることがあります。その国に属している人は、基本的にはこれに従わざるを得ません。
一方で、ホロコーストのような「あるべきでないこと」が歴史上起きたことを人類は学んでいますから、今ではこういうときの対策も考えるようになっています。
具体的には、憲法という「これだけは多数決でも破ってはいけない」というルールをつくり、裁判所というところが「多数決の結果として出てきた意見が、憲法のルールにしたがっているか?」をチェックしています。
例えば、日本では国会が多数決によってまず法律を作りますが、その法律が憲法のルールに従っているかどうかが問題となったときには、最高裁判所が違憲の判断を下す可能性があります。
違憲の判断が下された法律は、多数決によって決められたものであっても無効になります。実際、このようにして削除された法律はたくさんあります。
多数決で決めた「ありえない結果」が後からくつがえされた例
例えば、もともと日本の刑法では「尊属殺人」というルールがありました。刑法第200条という法律です。
これは自分のお父さんやお母さんを殺した人は、他人を殺した時よりも重い刑罰に処されるというルールです。
戦前からずっとこのルールは適用されてきたのですが、1973年には「人の命の価値は同じなのだから、他人を殺したときと親を殺した時で違う刑罰が科されるのはおかしい」ということが問題となりました。
↓「人の命の価値は同じ」ということは憲法の14条1項というところに書かれています。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
日本国憲法第14条1項
結果的に、多数決によって作られた尊属殺人というルールは、憲法によってくつがえされることになりました。
多数決で決めた意見であっても、「これはダメだろう」ということになったときにはくつがえされることもあるのです。
民主主義では少数意見の尊重はどうやって行う?
先ほどもお伝えしたとおり民主主義の社会では、多数決は一つの手段に過ぎません。ホロコーストのように「あり得ない結果」が出てくることもありますから、多数決はまったく完璧なものではないのです。
そのため、多数決に踏み切る前に、可能な限り多くの人の意見を聞くことが重要です。
あることがらを決めるときにいきなり多数決を行って決めてしまうことはナンセンスといえます。多数決は「最後の手段」ぐらいに考えておく必要があります。
また、「たとえ多数決で決めたことでも、これだけはダメだよね」というルールをあらかじめ作っておくことも大切です。近代以降の社会ではこのルールのことを憲法と呼んでいます。
多数決は少数意見の尊重とセットで運営される必要があります。具体的には、議論の時間を増やすということです。
多数派は少数派を納得できるような案を提示し、少数派は多数派の意見に部分的にでも自分たちの意見を反映させること目標としながら議論を詰めていきます。
そうすることで、最終的に多数決をとったとしてもお互いに妥協点を見いだすことができます。
その上で、多数決で決めた案が「これだけはダメだよねのルール(憲法)」に従っているかどうかを、後からきびしくチェックする必要があります。
現代の民主主義国家は、このように多数決原理を慎重に運用することで少数者の権利を守れるように配慮しています。
多数決原理の問題点と限界
今や小学校のような小さな共同体でも当たり前のように取り入れられている多数決ですが、当然問題点や限界があります。
↓具体的には、以下のような問題点が挙げられるでしょう。
多数決原理の問題点
- 主権者が麻痺していると危険な結論がでる
- 最終的に少数意見は切り捨てる必要がある
- 多数決は絶対と思い込んでしまう
以下、順番に見ていきましょう。
問題点①:主権者が麻痺していると危険な結論がでる
民主主義が麻痺したことによって誕生した権力者の代表があのヒトラーです。
今になって考えるとヒトラーの非人道的な行いは非難されることですが、ヒトラーにそれを許していたのは紛れもなく彼を選び、権力を譲渡した国民だったのです。
ヒトラーの行いは人間的には決して許されることではありませんが、民主主義の考え方としては間違っていないのです。
当時、国民はヒトラーの政策に感化され多くの人がヒトラー支持しました。
この例から分かるように、民主主義の主権者が麻痺していると、当人たちは良い、と思っていても危険な結論を導き出す必要があるのです。
哲学者のプラトンはこのような状況のことを「衆愚政治」と呼びました。彼は衆愚政治は最悪なので、一人の優秀なリーダーを選んでその人に政治を任せるべきだという主張をしました。
問題点②:少数意見は切り捨てる必要がある
先ほど少数意見の尊重の仕方として、議論を煮詰めてお互いに妥協点を見いだしていくことが大切、ということをお伝えしました。
しかし、多数決を行う以上少数意見を聞く上でも必ず限界があります。
その意味で全員の意見を完全に反映させることは多数決を用いる民主主義においてはほぼ不可能なのです。
ここで大切なのはお互いが「これならまだいい」と納得できる選択肢を詰めていくことなのです。
問題点③:多数決は絶対と思い込んでしまう
何度も繰り返しになりますが、多数決は民主主義における方法の一つです。
そのため、いくら多数決で決まったとしてもそれは完全に全員の意見を反映しているわけではない、ということを念頭に置く必要があります。
多数決は絶対ではないため、結論が出てから賛成者が予想していなかった問題点が出てくることがあります。
そんなときに柔軟に考え、多数決で決まったことは意見の一つであった、ということを意識して柔軟に対応し議論し直すことが必要です。
多数決と全会一致の比較
多数決と対照的によく考えられるのが先ほども紹介した全会一致です。
文字通り、主権者の全員が納得して初めて決定する、という考え方です。
全員が納得することは必要なので、全会一致も優れた考え方ですが、必ずしもそうとは限りません。
多数決を用いるべき、また、用いなければならない場合も多く存在します。
そんな全会一致と比較した多数決のメリットもデメリットを考えてみましょう。
多数決のメリット
多数決のメリットは何と言ってもその決めやすさにあります。全員の意見が完全に一致しなくても結論を出すことができるので、全会一致よりもスムーズです。
数人程度であれば全会一致でも問題ありませんが、国レベルの大きな共同体になると、全会一致になるまで議論し、説得を続けるというのは時間の無駄であり、不可能なことです。
妥協点を見いだしつつ迅速に結論を出すことができる、という点で多数決は優れているのです。
多数決のデメリット
全会一致と比べた多数決のデメリットには、少数意見の反映がされにくいことです。
お互いに妥協できるようにするために議論を詰めていくのですが、それでもやはり限界はあります。
また、100人の共同体で多数決を行い、51人が賛成、49人が反対という結果が出たとします。
確かに賛成が過半数なので「賛成」が採用されるのですが、これは同時に49人もの「反対」がいるととらえることもできます。
そんなときにうかつに決定していいのか、ということが多数決のもつ危うさでもあります。