社会人に役立つ豆知識をこまめに更新中!

CoMaMe




Sponsored Links

哲学の話

酸っぱい葡萄・甘いレモンの論理の意味とは?ルサンチマンと教訓

酸っぱい葡萄

(酸っぱい葡萄の意味とは?)

酸っぱい葡萄(ぶどう)」という言葉をご存じでしょうか?

ごく簡単に意味を説明すると、自分が欲しかったものを得られなかったときに、「もともとあんなものは欲しくなかったんだ」と考える心理のことをいいます。

酸っぱい葡萄の意味とは?

酸っぱい葡萄=自分が欲しかったものを得られなかったときに、「もともとあんなものは欲しくなかったんだ」と考えて自分をなぐさめる心理のこと。

心理学ではこうした心理のことを「ルサンチマン」と呼ぶこともあります。

よく似た表現で「甘いレモンの論理」というものもありますが、これはちょっと意味が異なりますので注意しておきましょう。

甘いレモンの論理の意味はこちら

「酸っぱい葡萄」は、もともとイソップ物語のお話に由来があります。酸っぱい葡萄とは一体どんなものなのでしょうか?以下くわしく説明します。

Sponsored Links

イソップ物語「酸っぱい葡萄」の話の教訓とは?

酸っぱい葡萄

(「酸っぱい葡萄」はイソップ物語に出てくるお話です)

イソップ物語の中の「酸っぱい葡萄」の寓話は、以下のような内容です。

ある日、葡萄(ブドウ)の木の前を1匹のキツネが通りかかります。

葡萄の木には美味しそうな葡萄が実っていますが、キツネには高すぎて手が届きません。

キツネは何度か跳び上がって葡萄を取ろうとしますが、やはり届きません。

最後にキツネは「あの葡萄はまだ青いから酸っぱいはずだ。あんなものはいらないや」と言って去っていきます。

もちろん本当に葡萄が酸っぱいわけではありません。

つまり、手の届かないモノを未練なくさっぱりとあきらめるために、納得できる理由を考えたというわけですね。

このように、自分の目標が自分の努力では達成できないときに、もともとの目標そのものをおとしめる心理のことを「酸っぱい葡萄の心理」と呼んでいます。

心理学や哲学の分野では、こうした人間の心理のことをルサンチマンという言葉で呼ぶこともあります。

哲学者のニーチェは、現実世界で成功できない人間が、宗教や道徳に逃げ込む態度を指してルサンチマンと呼びました。

そして、ルサンチマンを克服するための思想として「神は死んだ」「超人思想」という考え方を提唱します。

Sponsored Links

「酸っぱい葡萄」を英訳すると「sour grapes」

ちなみに「酸っぱい葡萄」を英訳すると「sour grapes」となります。

英語圏では「cry sour grapes」で「負け惜しみをいう」という熟語になります。

↓例えば、以下のような例文があります。

  • I didn’t want to cry sour grapes.(私は負け惜しみを言いたくなかった)
  • He cried sour grapes.(彼は負け惜しみを言った)

もちろんこの英語はイソップ物語の「酸っぱい葡萄」のエピソードからきています。

ただし、これは日常的によく使われる表現ではありません。

「負け惜しみを言う」は「say a loss」、「負け惜しみ」なら「a bad excuse」の方が一般的ですね。

日本語でも「酸っぱい葡萄」は慣用句として使われることもありますが、それほど一般的な表現ではありませんよね。

このあたりのニュアンスは日本語も英語も共通しているといえるでしょう。

Sponsored Links

心理学では「酸っぱい葡萄」はどうとらえられている?

イソップ物語の「酸っぱい葡萄」のエピソードでのキツネの反応は、心理学では「ルサンチマンを解消するための反応」ととらえられています。

ルサンチマンとは、弱者が強者に対して抱く、嫉妬や羨望などからくる憤りや恨み、憎悪などの感情のことです。

「酸っぱい葡萄」の話の中で、キツネは美味しそうな葡萄を食べたかったのに、自分の跳躍力が無いことから葡萄に届かず、食べられませんでした。

「欲しいのに手が届かない」という状況は、怒りやひがみの感情を生みがちです。

ここでキツネは「あの葡萄は青い」→「青い葡萄は酸っぱい」→「酸っぱい葡萄なんていらない!」という思考回路に落ち着くことで、気持ちを納得させているのです。

日々の生活の中であきらめなければならない場面に多々出くわしますよね。

そんな時、「あれはもともと欲しくなかったものだ」と考えることによって、人は嫉妬や憎悪といった負の感情から解放されます。

「酸っぱい葡萄」の論理を多用しすぎると、言い訳ばかりの人生になってしまうかもしれません。

当たり前のことですが、人生は山あり谷ありです。楽しいことと苦しいことを総じてみると、苦しいことのほうが多いぐらいかもしれません。

壁にぶつかるたびに「酸っぱい葡萄」の論理で楽な方へ逃げていては、その後の成長は見込めず、壁は目の前に立ちふさがったままです。

Sponsored Links

酸っぱい葡萄とは真逆の意味?甘いレモンの論理とは

酸っぱい葡萄

(「酸っぱい葡萄」とは似て非なる「甘いレモン」の意味とは?)

ここまで説明した「酸っぱい葡萄」とよく対比されるのが「甘いレモン」という言葉です。

「甘いレモン」とは「自分が苦労して手に入れたものは、きっととても良いもののはず」と考える心理のことをいいます。

一番欲しいものとは違うモノしか手に入らないときに、自分をどうにか納得させるために、手に入れたモノを過大評価するという心理です。

例えば、先ほどの「酸っぱい葡萄」に登場したキツネで考えましょう。レモンは葡萄よりも酸っぱいので、どちらも手に入るなら葡萄の方が嬉しいはずです。

このキツネが葡萄を手に入れられなかった後に、道路に落ちているレモンを手に入れたとします。

キツネは、本当は木の上にあった甘い葡萄が欲しかったはずですが、実際に手に入ったのは酸味のあるレモンです。

そこでキツネは自分を納得させるために「このレモンはきっと甘いはずだ」と思い込むというのが「甘いレモン」の論理です。

甘いレモンの教訓=手に入るもので満足することの功罪

「甘いレモン」には、本当に欲しいものをあきらめて自分を納得させたいときに有効な心理作用をもたらします。

ベストではない選択肢で満足しないといけない場合に、自分を納得させるために「甘いレモン」の論理はとても役立つというわけです。

ただし「甘いレモン」の論理も、使い方によっては怠惰な状況を次々と生み出してしまう危険性があります。

努力すればもっと良いものが手に入ったはずなのに、大して努力することなく手に入れたものを「これが最高だ」と思い込んで生きていると、進歩のない人生になってしまいがちです。

甘いレモンの論理を使うのは「完全燃焼の努力をした時」だけにしよう

いわば、「甘いレモン」の論理を活用していいのは完全燃焼の結果として得られたものについてだけです。

例えば、自分で自分の体を壊すほど努力して手に入れたものが、自分の思うようなレベルのモノではなかった…というときには、それはあなたの運命と言ってもいいでしょう。

全力で努力して手に入れたものであったなら、その手に入れられたものに価値を見出すべきです。そうすれば心の負担はぐっと軽くなります。

努力ができる人が「甘いレモン」の論理で上手に立ち直ることができたなら、きっとそれはプラスに作用していきます。

どんな人間でも人生で思うようにいかないことはあります。そんなときに気持ちを満足させる手段として「酸っぱい葡萄」と「甘いレモン」を使い分けましょう。




Sponsored Links

-哲学の話

Copyright© CoMaMe , 2019 All Rights Reserved.