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酸っぱい葡萄・甘いレモンの論理の意味とは?ルサンチマンと教訓

※このページは 3 分で読めます。

「酸っぱい葡萄」の論理を多用しすぎると、言い訳ばかりの人生になってしまうかもしれません。

当たり前のことですが、人生は山あり谷ありです。楽しいことと苦しいことを総じてみると、苦しいことのほうが多いぐらいかもしれません。

壁にぶつかるたびに「酸っぱい葡萄」の論理で楽な方へ逃げていては、その後の成長は見込めず、壁は目の前に立ちふさがったままです。

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酸っぱい葡萄とは真逆の意味?甘いレモンの論理とは

酸っぱい葡萄

(「酸っぱい葡萄」とは似て非なる「甘いレモン」の意味とは?)

ここまで説明した「酸っぱい葡萄」とよく対比されるのが「甘いレモン」という言葉です。

「甘いレモン」とは「自分が苦労して手に入れたものは、きっととても良いもののはず」と考える心理のことをいいます。

一番欲しいものとは違うモノしか手に入らないときに、自分をどうにか納得させるために、手に入れたモノを過大評価するという心理です。

例えば、先ほどの「酸っぱい葡萄」に登場したキツネで考えましょう。レモンは葡萄よりも酸っぱいので、どちらも手に入るなら葡萄の方が嬉しいはずです。

このキツネが葡萄を手に入れられなかった後に、道路に落ちているレモンを手に入れたとします。

キツネは、本当は木の上にあった甘い葡萄が欲しかったはずですが、実際に手に入ったのは酸味のあるレモンです。

そこでキツネは自分を納得させるために「このレモンはきっと甘いはずだ」と思い込むというのが「甘いレモン」の論理です。

甘いレモンの教訓=手に入るもので満足することの功罪

「甘いレモン」には、本当に欲しいものをあきらめて自分を納得させたいときに有効な心理作用をもたらします。

ベストではない選択肢で満足しないといけない場合に、自分を納得させるために「甘いレモン」の論理はとても役立つというわけです。

ただし「甘いレモン」の論理も、使い方によっては怠惰な状況を次々と生み出してしまう危険性があります。

努力すればもっと良いものが手に入ったはずなのに、大して努力することなく手に入れたものを「これが最高だ」と思い込んで生きていると、進歩のない人生になってしまいがちです。

甘いレモンの論理を使うのは「完全燃焼の努力をした時」だけにしよう

いわば、「甘いレモン」の論理を活用していいのは完全燃焼の結果として得られたものについてだけです。

例えば、自分で自分の体を壊すほど努力して手に入れたものが、自分の思うようなレベルのモノではなかった…というときには、それはあなたの運命と言ってもいいでしょう。

全力で努力して手に入れたものであったなら、その手に入れられたものに価値を見出すべきです。そうすれば心の負担はぐっと軽くなります。

努力ができる人が「甘いレモン」の論理で上手に立ち直ることができたなら、きっとそれはプラスに作用していきます。

どんな人間でも人生で思うようにいかないことはあります。そんなときに気持ちを満足させる手段として「酸っぱい葡萄」と「甘いレモン」を使い分けましょう。




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